院長ブログ

お口の手入れは命の分かれ目 〜東日本大震災に学ぶ〜

私達は毎日当たり前のように歯を磨いていますが、どうして歯磨きが必要なのか、皆さんは考えられたことがあるでしょうか?

お口の中(口腔)を清潔に保つことを専門用語で”口腔ケア”と呼びます。この口腔ケアの重要性を世に知らしめる出来事が、東日本大震災で被災した気仙沼市で起きたのです。

2014年7月、NHKは「肺炎急増の謎 ~避難所を襲った次なる危機~」と題する番組でこの問題を取り上げました(NHK BS1)。本放送は既に終わり、NHKオンデマンドでも視聴することができませんが、幸運なことに、NHK WORLDで放映された英語版の番組内容 (“The Mystery of the Pneumonia Epidemic: 震災後肺炎、蔓延の謎”)がホームページ上に写真入りで公開されています。

この番組中では、アメリカ人であるMorley Robertson氏がレポーター役を務めています。

Robertson氏は、気仙沼市での取材を通して、震災直後から高齢者を中心に肺炎が蔓延し、その際の口腔ケアが”命の分かれ目”になった事実に着目しました。Robertson氏による迫真のレポートは英語で公開されていますが、この内容は日本人全員で共有すべきものと考えられましたので、以下要点を絞ってご紹介致します。

原文は優れた平易な英文で書かれており、一部の医学用語を除けば、高校生でも十分に読み通せる内容になっています。ただ、英語の言い回しとしては素晴らしい箇所も、直訳になると日本語としては分かりづらいものとなってしまいます。私の独断で、意訳が多々含まれている点は、あらかじめご了承ください。レポート内容に興味がある方は、原文を読まれることをお勧め致します。

なお、文中に登場する人名や施設組織名は、意図的にアルファベットのまま残してあります。これらの情報から、さらに資料を検索・入手することで、本レポートが触れていない事実が明らかになっていきますが、本稿では英文レポートの要旨紹介のみに留めます。

〜 Robertsonレポート要旨 〜

  • 宮城県気仙沼市は、人口7万人の都市であるが東日本大震災の際に、52名が肺炎で命を落とした。
  • 中核病院である気仙沼市立病院には、震災直後から多くの患者が押しかけたが、数日のうちに肺炎患者が続々と担ぎ込まれるようになった。
  • 毎日、5~6人の肺炎患者でベッドは埋まっていき、すぐに満床となる。
  • 医師達は治療に追われる中で、肺炎患者の多くが避難所から運ばれていることに気が付いた。
  • 病院が戦場と化す中、介護施設では悲劇が待っていた。とある特別養護老人ホームでは、スタッフも含め125名が避難民として暮らしていた。4人部屋に6人を押し込むような生活が、1ヵ月にわたり続いていたが、最初の20日間で5人が肺炎を発症し、その全員が亡くなったのである。
  • 施設の看護師長は当時を振り返り、「スタッフは憔悴しきり、なぜ肺炎が蔓延していくのか、皆目見当もつかなった」と語っている。
  • 震災から1ヵ月立った頃、呼吸器内科医であるDaito Hisayoshi医師が気仙沼市に到着した。東北大学で呼吸器内科を専門としていたDiato医師は、市立病院での診療を支援するために派遣されたが、次第に肺炎の蔓延に興味を持つようになった。
  • 「災害後に肺炎が増加するらしい」という仮説はあったが、この現象を学術的に証明した論文は当時報告されていなかった。この仮説を実証するためには、まず平時における肺炎罹患率を把握し、その上で震災後と比較する必要がある。
  • このため、Daito医師は気仙沼市内の主立った基幹病院を一人で回り、膨大なカルテとX線写真から、震災前後の綿密なデータ採取を行った。震災後の混乱の中、気が遠くなるような作業であったに違いない。
  • この調査の結果、驚くべき事実が明らかになった。震災後3ヵ月の間に、225名が肺炎で入院し、そのうち52名が死亡していたのである(死亡率23%)。しかも、肺炎患者の9割が65歳以上の高齢者であった。
  • 各基幹病院で肺炎治療にあたっていた呼吸器内科医達は、当初肺炎の原因は、被災地に舞う粉塵の吸引によるものではないかと考えていたが、詳細な解析の結果、震災後に流行している肺炎は平時と全く変わらないものであった。
  • それでは、一体何が震災後の肺炎を引き起こしているのか?その原因は、意外なところにあったのである。
  • 被災後、全国から気仙沼市に向かった歯科医師達は、過去の経験から災害時には肺炎が増加することを知っていた。また、地元の歯科医師達は気仙沼市で肺炎が流行するであろうことまで予測していたのである。
  • 被災地においては、水・電気・ガスなどのライフラインが途絶する。中でも水不足は深刻であり、口腔ケアを極めて困難なものとしてしまう。また、高齢者は避難所や施設においてほぼ寝たきり状態となるが、不衛生な口腔、胃液の逆流などにより、誤嚥性肺炎を容易に引き起こす。
  • 果たして、どうすれば誤嚥性肺炎から高齢者を守ることができるのか?過去、幾多の災害の中で生まれた智慧は、歯科医師達の進むべき道筋を照らし出していた。
  • 気仙沼市に、Keichoenという特別養護老人ホーム(原文では”nursing home”と表記)がある。震災後、この施設には100名以上の高齢者が避難民として暮らしていたが、誰一人として肺炎による入院に至った者はいなかった。
  • ライフラインが途絶し、厳しい寒さが襲う中、なぜこれほどまでにリスクの高い施設から、肺炎による入院患者が発生しなかったのだろうか?
  • この問いに、施設長であるKumagai Hideo氏は「震災の5年前から、口腔の衛生管理に重点を置いていた」と答えている。
  • 地元の歯科医師であるKanazawa Hiroshi氏は、Keichoenのかかりつけ歯科医であり、震災後は他県から駆けつけた応援歯科医師と共に、高齢者の口腔管理に尽力した。
  • Kanazawa氏によると、震災後、多くの入所者は義歯を外していなかったため、義歯と口腔内は不潔極まりないものとなり、多くの人々にカンジダ感染症を認めたそうである。
  • 歯科医師達が口腔ケアに努めている一方、肺炎蔓延の原因を同時期に調査していたDaito医師は、彼らの活躍に気付くことは一切なかった。彼が口腔ケアの取り組みを知ることになったのは、肺炎が終息してからのことである。
  • Diato医師は当時を振り返り、次のように語っている。「まず、内科医が自覚していなかった肺炎アウトブレイクを歯科の先生方が極早期に予知されていたことに驚きました。さらには、肺炎発症を防ぐため、積極的に口腔ケアに関わられていたなど、私には想像もつかないことでした。」
  • 続いて、Robertson氏が体験者となり、限られた資源の中で実際に行われた口腔ケアの様子が再現される(※ 英文ページの写真を参照)。
  • 水不足の状況下では、ウェットティッシュが活躍する。指に巻いて口腔内を清拭すれば、湿潤化することで細菌増殖も抑えることができる。
  • ウェットティッシュや水がない時は、唾液腺マッサージも効果的である。唾液腺を指で優しく刺激することで、唾液分泌が促され、口腔は潤い免疫能力も高まる。
  • 果たして、このような口腔ケアは将来の災害時においても有効なのだろうか?
  • 感染症の専門家であるKaku Mitsuo教授(東北大学)に尋ねた。「間違いなく有効でしょう。私達は、うがいやブラッシングなどの口腔ケアが、肺炎の予防に寄与している事を明らかにしています。」
  • それでは、肺炎を発症してしまった症例において、適切な口腔ケアを施せば悪化を防ぐことはできるのだろうか?
  • Kaku教授は続けて言う。「恐らく悪化を防ぐことは可能でしょうし、誤嚥性肺炎の発症リスクも抑えることができるでしょう。歯科医師の方々の仕事により、口腔衛生の破綻が誤嚥性肺炎に結びつくことが明らかになっています。」
  • 現在、気仙沼市では3.11での学びを将来の危機管理のために役立てようという動きがある。呼吸器内科医、整形外科医、脳神経外科医、歯科医、介護士、栄養士など様々な分野のスタッフが一同に会し、口腔ケアに関する研究会を開催している。
  • Kanazawa歯科医師は、自身の体験から、災害前に多職種のスタッフが集う必要があると感じている。氏は次のように語る。「もしも、ここに集う人々全員が災害初期において、口腔衛生と肺炎の関係を知っていれば、もっと多くの人々を救うことが出来たでしょう。我々は医療従事者として、今回の経験から多くを学ぶと同時に、自分達に足りなかったものを反省する必要があると思います。そして、今こそ専門分野の垣根を越え、より高い次元の医療を国全体に提供できるよう、我々は一致団結して努力しなければなりません。」

レポーター総括

東日本大震災直後、多数の避難民に肺炎が発生しました。当初、肺炎の原因は被災地に舞うオイルダストなどの粉塵吸入によるものと考えられていましたが、詳細な解析の結果、高齢者によくみられる典型的な肺炎であることが明らかになりました。

歯科医師達は初動時から、口腔衛生状態の破綻が誤嚥性肺炎の蔓延につながることを予見し、徹底的な口腔ケアにより肺炎予防に尽力しました(※ 西田補足文)。

あれから3年後、気仙沼市においては、口腔衛生を中心にした予防的取り組みに対する意識が高まっています。この”気仙沼モデル”は、再び災害がこの国を襲ったとき、医療従事者は如何に対峙すべきなのか、そのヒントを示しているのではないでしょうか。

文責 西田 亙